畳の歴史から畳を知る
畳は平安時代に登場しました。
貴族の邸宅の建築様式が「寝殿造」に変わっていくと、板敷の間に座具や寝具などとして畳が置かれるようになりました。この様子は当時の絵巻物等にも描かれています。
当時は、使う人の位によって畳の厚さや縁にきまりがあり、種類によって使う人も決まっているなど、畳は権力の象徴でした。
鎌倉時代には、武家社会の発展によって武家や僧侶の住居として書院造りが建築され、室町時代には、部屋全体に畳が敷かれるようになりました。
桃山時代から江戸時代にかけて、草庵風の茶室が発達し、茶道の発展にともなって、数奇屋風書院造りへと移り変わっていきました。
茶室は四畳半の茶室を基本として、炉の位置で畳の敷き方が決まります。
江戸時代になると、「御畳奉行(おたたみぶぎょう)」という役職が作られるほど、武家、特に将軍や大名にとって重要なものとなり、後期には畳の職人制が確 立され、畳は一般市民の住まいにも普及していきました。
明治時代の西欧文明を謳歌し、文明開化を叫んだ時期も、昭和史の戦後の厳しい生活環境の中にあっても、畳は日本人の住まいの中心的な役割でした。
現代では、科学が発達し、優秀な科学繊維が開発されてきましたが、畳の持つ、素晴らしい天然素材による特性には対抗できませんでした。それは湿度が高く、気象の変化がはげしい日本の気象環境が理由です。畳はその特性を生かし、日本の風土に最も適した床材(敷物)として今日まで広く愛用されています。